もうすぐ1世紀

今日は、父方の実家へ結婚のご挨拶。
新宿でお土産に「とらや」の羊羹を買い、追分団子でかき氷と団子を食べ、
下高井戸から世田谷線で世田谷まで。父と母と駅で待ち合わせだったので
駅のベンチに座ってぼうっとする。なんだか時間がすごくゆっくり流れていて
穏やかで気持ちがよかった。

父と母が到着して、祖父の家へ向かう。母は祖母が好きだという鷺草を
持ってきていた。マンホールを見ると、鷺草が書かれていた。世田谷区の
花は鷺草なのだそうだ。普通に咲いているのなんてあんまり見た事ないけど。

祖父の家に行くのは5、6年ぶり。いつもは車で祖父の家まで行っていたので
歩いていく道は新鮮だった。世田谷の曲がりくねった小道を抜けると懐かしい
家があった。バリアフリー化をしているため、扉が変わっていたりしたがほとんど昔と
変わらない。今日は、父方の兄弟が集まる日だったため、おじさんやおばさんたちとも
挨拶をする。(ちなみに父は5人兄弟の4番目)

そして、久しぶりにあった祖父祖母。僕が子供の頃のイメージからするとやはり「縮んだ」
という印象は拭えないが、叔母に支えられながらもきちんと歩いて応接間までやってきた。

今年で99歳の祖父は僕が小さい頃は本当に「大きいおじいちゃん」だった。手が大きく
力強い。ずっと建築屋をやっていて昔の逓信省の建物を造るため、北から南まで
全国を建物を建てると移動、という暮らしをしていたらしい。短い時は2ヶ月とかで引っ越しする事も
あったそうだ。今日その事は初めて知った。力強いわけだ。
多少行っている事は聞き取りにくいものの、元気そのもので冗談なんかも結構言う。
(祖母に「ばあさん最近ぼけてきたから」など度軽口をたたく)
今は仕事は何をやっているのと聞かれて、環境と答えたら「環境は新しい仕事だから
これからいいよなあ」など、しっかりしたご意見。いまでも計算は早いらしい。
明治生まれの祖父だが身長が高く、結婚した当初は、頭一つ高かったのですぐに見つける事が
できたと祖母は語っていた。
今年91になる祖母は、ちょっと病気があって車いすに乗って入るものの、人の手を借りて
いるのが嫌らしく、時間をかけてでも自分の事を極力自分でやっているらしい。
僕のイメージが、小学生くらいの頃のイメージだったらしくなんだかひどくびっくりしていた。
やはりどうしても忘れっぽくなっているようで僕の卒業公演にきてくれた事も忘れていた。
そして何度も「こんなに小さかったのにねえ」と話していた。

自分の親の親がどのような人なのか、正直父方の方は、父が4人目という事もあり、あまり
知る事はなかった。父も若い頃は、祖父と話す事はほとんどなかったという。自分のルーツ
、自分の血の中にこの二人の血が混じってんだなあと思うとなんだか嬉しかった。
長生きする事がすべて正しいとか思わないけれど、ただ生き方として、生きられる間は
きっちりとその頃に対して取り組むというのは、当たり前なんだけどすごい事だなと思った。

帰りに握手した祖父の握力は、昔と変わらすとても力強いものだった。