ディープエコロジー

ここんとこ、ディープエコロジーと言う本を読んでる。

全部呼んでないから、結論と言うかあまり完璧な事は言えないけど。
特に新しい発見と言うより、ああ、そう言えばそうだね。という"気付き"という要素が僕には強い。
もちろん、難しい言葉はたくさんあるし、いろんな哲学書からの引用もあるけれど、総じて「人間が地球に属している」と言う事が、いちばん必要不可欠な要素かなと。

なるほどと思ったのが、ひとは、極端な自然破壊の映像を見せられると自分が傷つけられたように感じるということ。
デあるからして、人間は地球の一部である。と言う事が書いてある。

まあ、それはそうだなと。僕は思う。
でも、それって色んな事に言えるのではとも思うのです。

実は先日、駅から家までの帰り道で突然、庭にショベルカーが突っ込んでいる家があった。
もちろんお家は半壊していて、ちょうどおそらくリビングであろう所がえぐられている感じ。
僕はその時すごく吃驚したと同時に、「残酷だな〜」と思った。
今でも思い出すとドキドキする。
庭の生け垣のところから強引に入っているショベルカー。
庭の草木なんて目じゃない。踏みにじられてしまっている。
何よりも家が、おそらくその家に住んでいた人達の思い出が、破壊されていた。

多分立て替えか、住んでいた人が引っ越したかだとは思うけど。何だかすごく衝撃的だった。

家って人工物。でも、なんでそんな傷付いてしまったんだろう?
道路工事しててもなんとも思わないのに。
僕はその家なんて、いままで気にもしてなかったしどんな家だったかも覚えてない。
でも、僕は想像した。
その家に暮らす人と、その家に住む人達を雨や風から守った家を。
勝手に家を擬人化して感情移入した。
昔絵本で呼んだ「ちいさなおうち」を思い出した。

人間て感情移入できる。だから例えば、家とかパソコンとか自転車とか自分にとって身近で
それに思い入れのあるものになら感情移入できる。

それの一番元のところ。そもそもなんで人間が感情移入できるかと言う所に、自然との関係があると思う。一般的には感情を持っていない河や、森や、海が汚されたり切り開かれたりする時に受ける
なんとも言えない傷付き方するのは、人間にとってのもともと一番身近で、思い入れの深い生活に根ざしたものだったからなんだと思う。

いま、それをここ何年か忘れててようやっと思い出したのではないかな。
自分たちの創りだせるものでいっぱいにしたら、最初一番身近だったものを遠ざけてしまった。
それが環境問題のはじまり。そんな気がする。
身の回りにある、自然のもの人工のもの(と言っても人間が自然の一部であればすべてが自然の物のような気もするが)を上手に付き合って、それぞれの魅力や欠点を見据えながら生活していく事が今の子の地球を長続きさせるものではないかなと思った。
えらそうに。