くちなし

仕事帰りの駅から自宅までの夜道の途中/雨の気配をはらんだ、体にまとわりつくような湿気とともに、甘ったるい花の匂いがする。傍らを見ると、暗い夜道に黄みがかった白い花が咲いている。葉は、しっかりとした緑で、表面が光沢を帯び、偽物のような雰囲気までする。クチナシの花だ。


この花の匂いを嗅ぐと、なぜか小学生から中学生まで住んでいた家を思い出す。
裏口に生えたクチナシの花がいつもこの季節になるとこの甘い匂いを漂わせていた。裏口には他にも、紫陽花が咲いていたり、茗荷がなったりした。けれどそのころの僕は、茗荷も嫌いだったし、このクチナシの甘ったるい匂いやジメジメとした裏庭も好きではなかった。

そもそも「クチナシ」という花の名前を覚えたのは父のカラオケの十八番が「くちなしの花」という歌だったからだ。どんな歌だったかはもう忘れてしまったし、父が歌っているのを見たのも1、2回くらいしかなかったからほとんど覚えていないが、子どものころは「口がない」から「くちなし」だと思っていて、たいそう変な花であろうと思っていた。だから裏口にある甘い匂いのするやつが「くちなし」と知った時は、なんだか拍子抜けもしたし、なんだか信じられなかった。

あまり好きではなかった裏口は、「裏」というイメージにぴったりの場所だった。大体において日中もほとんど日が当たらない。特に夏には、蚊や蠅の他、ガマガエル、カタツムリやナメクジなども登場した。そして梅雨の時期にはそのジメジメに加え、クチナシの甘ったるい匂いが漂った。雨の中で、この官能的とも言える甘いにおいは、子どものころの僕にはなんだか居心地の悪く、お化けでも出てきそうな怪しげなイメージにぴったりだった。

引っ越してしまってからというもの、その家は僕にとって「近くて遠い場所」になってしまった。行こうと思えばいつでも行ける。そんな距離感が、逆に足を遠のかせてしまった。今の時期はきっとその裏口はジメジメしていて、紫陽花にはカタツムリがいるんだろうか、そしてあのくちなしの花は今もあの官能的な甘い匂いをジメジメした裏口にだだ酔わせているのだろうか。

ふと帰り道に嗅いだ強烈な甘ったるい匂いは、力強く僕をそのころの裏口へ連れて行ってくれる。コケや踏み石や裏口の木戸やカバーのかかった自転車、物置、兄貴のバイク。道の真ん中に堂々と鎮座し僕らを脅かすヒキガエル。裏口にまつわる、様々な思いや出来事がどんどんと溢れてくる。匂いの記憶が連れて行ってくれたその家の裏口は、僕はあんまり好きではなかったけれど、少年時代を過ごした大好きなその家の事を思い出させてくれた。