親子

最近、仕事柄子どもと接する事が多くなった。
今の会社(?)で提供している体験学習プログラムの
ワークショップの講師をやっているため。

子どもたちも、様々でまじめな子、集中力の低い子
高い子、バリアを張っている子、オープンな子様々。
どうして、その子らがそんななのかは、その親をみると
大体わかる。というか、親との接し方、親の態度、親から子への
接し方をみると、何となくだかその関係性が見えてくる。

今日も「失敗」を異常に恐れる子どもがいた。
簡単なゲームをやろうとしたところ、その子は間違えることを
いやがり、うつむいてゲームに参加しようとしなかった。
同僚の人がフォローにはいり、なんとか進めたが、ちょっとびっくりした。
僕が「間違えないように」と言った事におそらく反応したのだろう。

なぜ、こんなに「失敗」を恐れたのか、母親との関係をみると
何となくだが、見えてきた。その子には小学校へ上がる著と前くらいの
弟がいた。母親の関心が弟の方へ行き、その子への関心が薄れていた事。
また、所々に、子どもへの「きつさ」を感じる事があった。
それは体面を気にしているのか、何なのかちょっとわからないが、
親と子の関係の中で、人前で「失敗」する事=「悪い事」という意識を
植え付けられてしまっているのではないだろうか。
ちなみにその親子の身なりはずいぶん綺麗なものだった。
そして、面白い事にその子自身は、母親がしばらく外出している間は
リラックスしてプログラムに参加していた。

こういうケースは結構ある。
僕がやっているのは基本的には「体験学習」というもので、
「体験」から感じ取れる事、学び取れる事を「実感」してもらう事であり、
そこには「正解」を求めてはいない。
もちろん、全体がある方向へ行くための道筋を付けるために必要な事はあるが
要するに「自分でつかみ取る」ということや「自分で発見する」という事に
重きを置いている。
プログラムを実施しているとき親が近くにいるとどうしても「答え」の方向へ
なんとか持って行こうという意識が強すぎて「違う」とか「そうじゃない」と
いってしまう事が多い。
学校の授業やテストなどならばそれでも良いのかもしれないがここでの体験の
目的は「自分で感じ、つかみ取る」ということ、
それが「勉強する」事の面白さにつながったり、僕の今やっている
「環境」への意識につながったりすれば良いものである。

親と子どもの関係がなかなか難しいと思うのは、
親自身が、子どもに与える影響力の強さをしっかりと認識した上で
子どもの行動に対して意見を言わないと、子どもから自発的にでてきた
非常に面白い感性や視点をすべてつぶしてしまう可能性があるという事。
子どもが感じている事は、大人には信じられないくらい様々な視点を持っている。
まず、その持っている視点を親が受け取って、その上で子どもに対して
コメントして行った方が良いと思う。

何にせよ、子どもにはのびのびと育ってほしい。
そういう子どもの顔は、どんな子でもとってもキラキラしているのだ。