家族、コリアンダーの死

昨日まで、妻の実家へ行っておりました。
アメリカ在住で京都出身の奥さんを貰った幼なじみと梅田で会い、近況を聞き彼らの娘の成長ぶりを見、
お買い物(主にユニクロヨドバシカメラ)に付き合う。
ほんの7,8年前、二人が青戸かバークレーで紫の髪の毛で歩いている後ろ姿を写真に収めたかと思ったら、
今はもうそこに目を離すとどこへ行くかわからないかわいいチビが加わっている。
「恋人同士」は確実に「家族」へと変化していた。

その日はその後は関西在住の友人と上手いタイミングで居合わせた絵描きの親友と西宮近くの河原でバーベキュー。
男4人で月明かりの下、人生や避妊について語り合う。自分のこれからをどうするのか、彼らの話を焼き鳥を焼きながら聞き、また、ポツポツと話しながらやっぱりなんだか「岐路」に立っているなあと、感じざるを得ない。

それ以外は、妻の実家に宿泊し、妻の親戚に会い、妻の恩師に会った。どこへ行っても家族があって、それぞれきっといろいろの事情を抱えながら生活してるんだと感じた。
自分が家庭を創りあげていく。それをこれからやっていくんだなあと、漠然と思った。

帰ってくると、東京も猛暑だったらしく、庭のプランターコリアンダーが枯れていた。
やはりまだ、新芽が出た程度、毎日水をやらなくてはいけなかったのだ。大家さんに一言行っておけばよかった。
なんだかそれを見て、とても落ち込んでしまった。「また植えれば良いよ。」という妻の慰めもなんだか素直に聞く事ができず、幼い彼らを見殺しにしてしまったという罪悪感がつきまとった。
大事なときに放っておいたら、やっぱり枯れてしまうんだなあと思った。それくらいはじめは脆いものなのだと
つくづく感じた。