脈絡無し

今日は、あんまり仕事が進まなかった。というのも、プリンタの調子がおかしい。出力したいデータがどうしても出力できないという、イライラする状況に陥る。
それと平行して、明日のナゴヤへの出張の準備、今回は日帰りなのでちょっと面倒。しかし、たかだか2時間程度の打ち合わせのために一日潰れてしまうというのもなんだか悔しい。
といっても、今の僕の仕事において、一番重要なのだからしょーがないのだけど…。

ということで、今日はそうそうに上がり、吉祥寺のライブハウスで「ゴスペルの伝道師(と書いてあった)」シオヤさんのライブへ。
短い時間だったのであっという間だったけど、この人の声の素晴らしさは、自分にとってまた新しい発見。M姉さんと話していたのだが、「声」の力が強いことの難しさ。というのを確かに感じた。
素材がいいものは調理は本当にシンプルであることが一番美味しいのとおんなじかな。と。
でも、そうもいかないという所が本当に難しい所なんだろう。

最近ふと、自分が何を見て歩いているのかわからなくなってくる時がある。
もちろん、大切なものが何かは分かっているつもりだけど。
自分にとって、凄く大事なことができてしまうと、少し保守的になってしまう自分がいて
でも、自分の周りを取り巻く状況は、全く逆の状況で僕は今守りを固めている時ではないことは自覚をしている。
だから、無理矢理にでも自分を鼓舞して、コントロールしていかないと。ちょっとしんどかったり実はしているんだけど、でも、それが今までの自分をつなぎ止めている鎖なのだとしたら、それをいいかげん切らなくてはいけない。
いろんなこと全部において。

ものの考え方、情報の取り方、選び方、遊び方、時間の過ごし方、全てにおいてちょっとずつちょっとずつ、視野を広げ、自分という、なんだか良くわからない粘土見たいのを形にしていきたい。

自分が今、すべきこと、したいこと、それをちゃんと見れないと。