金木犀

今日は、寒かった。雨もひどかった。明日はもっとひどいらしい。

先週末の稲刈りから、筋肉痛が続いている。そのためか、残っている疲れか今日は仕事がはかどらない。考える脳が働かない。けれど、諦めて帰らずに辛抱強く仕事をしたせいで、意外とはかどった。
しかしまだまだ仕事はあるし、今週は予定も結構はいってきてる。来週はそれに輪を掛けて予定が目白押し。果たして僕の給料は続くのであろうか。
しかし、買わなくてはならないもの、金をけちって後悔したくないこと。必ず行くようにしてる。自分に投資になっていると信じて。次なる展開を起こすのは自分が動いてないとどうにもならないから。

先週末群馬で、今年初めての金木犀の匂いをかいだと思ったら、今日職場の階段にいたら金木犀の香りがやってきた。昔はトイレの芳香剤の匂いみたいで嫌いだった金木犀の匂いもここ何年かでいつの間にか好きになった。
中学の時まで住んでいた永山の家は庭に金木犀の木があってこの時期になると綺麗なオレンジの華が咲く。そしてあのむっとするような匂い。金木犀の匂いは以前住んでいた家を思い出す。
永山の家はタウンハウスで、猫の額よりさらに狭い庭があってそこにはバラがあって、玄関のドアの左手に金木犀の木があった。きっと、今模しあの家にいったらひどく狭く感じるんじゃないか。僕と兄は同じ部屋でニ段ベッドで寝てて、二人の勉強机を入れると本当に狭かった。壁には大好きだったブルーハーツのポスターが貼ってあって、二段ベッドの下だった僕は、天井に落書きや、ハットリ君のシールが貼ってあった、字を覚えたてで「すぎやまたくじ」の「す」「ぎ」「ま」が鏡文字だった。
今思うとどうしてそんな難しい間違えすんだろうかと思うけど。

僕は、昔スゴ〜ク恐がりで従兄弟にもらった江戸川乱歩の「怪人21面相シリーズ」の表紙の絵が恐くて仕方がなくて、真っ黒のビニール袋にいれて開きの中にしまってあったり。姉が赤ん坊の頃からあるスヌーピーの汚いぬいぐるみがあったり、寒くなってくると朝、部屋についている暖房の前に座って、「ここからうごきたくないな〜」と思っていたり、たまに姉の部屋に行くと姉は一人部屋だったので、ずるいなーと思っていたり。

幼稚園から中学卒業までの思い出が、断片的に金木犀の匂いを嗅ぐと思い出される。
愛知県へ4年間行っていたことを考えると、今の唐木田のこの家にいる方がもう長くなっているのだけれど、いつまでたっても新しい家のような気がする。
人は年月ではなく、その過ごした時期が自分の産まれて育ったことの大事な思い出の中核をになうんだなあと思った。