日常とイメージ

地震から二週間、東京に戻ってきてから一週間ちょっと。

テレビは日常に戻り、ニュースで流れる地震速報や、原発事故のニュース。

停電に関するニュース。画面の青い枠に流れるテロップ。放射線量の確認。

こんな事が、少しずつ、日常にすりこまれていこうとしている。

そして、何事もないかのような表情で明日もまた満員電車で職場へ行く。

こんな日常があっていいのだろうか。

僕らが無関心でいたために、世の中がいつの間にか、危うく不安定になってしまったのだろうか。自分の事ばっかり見つめて自分たちの[便利]に惑わされて。

養老孟司さんが言っていた。人間は、自己と他者を分けた所から、そもそも環境問題を初めとする様々な問題の発端になったと。[環境]というワード自体が自分と自分の周りの物を分けて考えている象徴であるとも言っていた。「他人事にしてしまった。」ということ。

今回の地震津波。そしてそれ以上に世界を不安にさせている原発の事故。

自然の驚異による災害は、僕らのDNAの中に何処かに組み込まれているかもしれない。地球は自然の驚異的な動きによってできているし、人間の生命もそこから産まれたものであるかもしれないから。

ただ、原発は違う。この事故が自然災害によるものだとしても、その原因をつくったのは我々人間である以上、人災でしかありえない。そして最も恐ろしいのは、我々が制御できない力が働いてしまっているということ。
目に見えない、すぐに影響はない、気が付いたら侵されてしまう、正直よく理解できない恐怖。
これを根底に抱えながら、僕らは暮らし続けなくてはならなくなってしまった。

正直、恐怖を抱えたまま生きていくのは嫌だ。
かといって、これを[なかったこと]みたいな顔をして、元通りの暮らしを維持しようとするのにも違和感がある。
だから、新しい生き方をしなくてはいけないのではないか。
僕らの暮らしの仕組みを考え直して、次の世代がきちんと暮らし続けていけるように。
それは、どんな仕組みでどんな世の中だろう。

そして、それに向かって今、自分にできる事はなんだろう。
一つ確かに言える事は、
笑って暮らしている自分と家族と仲間たちを明確にイメージする事が凄く大事。

イメージがあればいい。