変なおっさん

保育園で保護者のお父さんを対象に月イチでやっている「おやじ太鼓」に参加しています。
月イチなのでなかなか上達しませんが、太鼓を思いっきり叩いて大きな音を出すのは気持ちのよいことです。一応曲を練習するのですが、やはり楽器がどれも長続きしないこれまでの人生と同じように、挫折しそうになる瞬間があります。それでもあまり深刻にならずに気軽にできるのがこのおやじ太鼓の良い所です。
先日の親子レクの時には、保育園の先生方が太鼓を叩いておりましたが、私たち「おやじ太鼓」も来年の2月には、園児達の前で発表するという試練が待っています。
毎回、結構必死でたたくので汗だくだくになりますが、普段の運動不足を少しでも補うために良い習慣だと思って続けています。

それよりも、私が感心するのは、そうやって普段出てくることのない父親同士のコミュニケーションを図る場として、こういう場を提供している保育園に感謝するのであります。
私も含め父親というのは口べたな人が多く、太鼓以外の話題になることはほとんどないのですが、息子が通っている場所にはどのような人がいるのかを少しでも分かることができるというのは非常に意味のあることだと思っています。

仕事柄、地域社会のあり方とか、学校や保育園などと地域の人とのつながりの重要性を考えたり、感じたりすることが多い中で自分自身が地域社会の一員として関われる機会が出て来たのは面白いことです。

息子を持って、その息子が保育園という「社会」で暮らすようになることで、ただ「住んでいるだけの場所」から「生活している場所」へと変化しているのを感じています。それは、場が変化するのではなくて私自身の意識が変化していくこと。これまでの視野を少しづつ開けていって、地域とのコミュニケーションをより意識しながら暮らしていくようになること。それは、私たち家族に取ってこの場所をより暮らしやすい場所へと変化させていくという行為であります。

相手が自分(や自分の家族)を、どこに住んでいる誰なのか知ってくれていること。また、自分自身も地域の人にどのような人がいるのか知っていることというのは、防犯上もとっても役に立つことだと思います。
近くの公園で遊んでいる子どもたちを見守れるような地域の目。それは、決して「何処その子が素行が悪い」とかいう目で見るのではなく、地域でこの子供達を育てていくという意識を持って接していくということが大切です。

そしてそのために私自身がこの地域でなりたい存在として「ちょっとおせっかいなくらいの近所の(変な)おっさん」位のポジションまでいってみたいものです。