大晦日

あっという間に年末。
年末休みも、ほとんど普段の休日と変わる事なく、
息子をあやし、家事をし。
普段と違うと言えば、大掃除で窓を拭いたりしたくらいか。

息子は、今日で4ヶ月。しかしながら相変わらずの泣きっぷり。
夜も10時くらいから寝かしつけるも寝たのは1時。
ちょっとは眠るのだが、ゲップなのか鼻づまりなのか突然「キャー」となく。

最近は、声もでかくなって来たもんだから、抱いてると
鼓膜がビリビリし、ピリピリしちゃいかんと思いながらも
「早く寝てくれ」と夫婦共々少々疲れ気味になる。

それでも、寝顔と朝のご機嫌アワーでは、良くしゃべり(意味は分からない)
愛想を振りまいている。それを見せられたら、親としてはどうしようもない。

さてこの一年は妻の妊娠発覚からはじまり、子育てに終わるという
何だかまた変化にとんだ一年であった。しかし、妊娠中にしても、
出産の時の事にしても、何だかもう大分遠い記憶になっている。

写真を見れば、まだ数ヶ月前の事ではあるのだが、そこに費やすエネルギーが
大きいのか思い出(記憶)の量が多いからなのか。

人生がひとそれぞれ何年かある訳だけど、その何年かをどう過ごしたかという
思い出があるかないかで大分中身の違う物になるんだなと、脳みそでは分かって
いた物の、実感として今感じている。
であるならば、これまでの人並みのスカスカした人生から、ギュッと濃縮した
人生を送ると死ぬ時、ああ、思い出いっぱいだな。とか思えるのだろう。
しかしながら、人の思い出の量が決まっているのであれば、濃縮しすぎると早くに
死んでしまうし、長生きするのなら、まあゆったりと過ごすのが良いのだろうか。


晦日の朝、洗濯機を廻しながら一人考える。
いずれにしろ、明日には次の年になる。

みなさま、良いお年を。