アレルギーと弁当

子どもたちの学校、幼稚園がはじまりそれに伴いお弁当もはじまった。
次男の幼稚園はお弁当制。週に1回パンを買う日もあるそうだが、これまでの保育園生活とは違い、お弁当を作るというのは毎日なかなかプレッシャーのかかるものである。

長男は、卵アレルギーがある。しかも、アナフィラキシーショックを伴うものなので、親としてもナーバスになるところだ。
これまで東京で通っていた保育園でも入園当初は献立チェックとして、毎月1回、保護者、保育士、看護士、栄養士が顔を突き合わせて毎日の献立と、代替えメニューの確認をしていたものだ。年長になるにつれ、顔を合わせての打ち合わせはなくなったが、その際に信頼関係が築かれていたこともあり、安心して預けることができた。その点については看護士の先生には大変感謝している。

引っ越しと進学により、長男が小学校へ上がったものの、給食については少し心配であった。学校側のアレルギーに対する認識が少し危機感が足りないと感じたからだ。
私たちが暮らしていた調布市では昨年アナフィラキシーショックで児童が死亡する事故があり、それ以来、アレルギー児童に対する対応マニュアルやメニュー等の確認の徹底がなされておりチェック体制もしっかりしている印象だった。しかし、奈良では、その辺りが少し認識が少し足りていない印象だという(妻談)。
そのため、メニュー中に卵が入っている時は弁当を持たせるという形になった。
万が一の混入を防ぐためには、この方がこちらも安心だ。どうせ次男の弁当も作らなくてはならないのだから…。

さて、個人的には、息子の卵アレルギーはショックだった。
なぜなら、自分の得意(というか作るのが好き)なのが出汁巻き卵だったからだ。銅の卵焼き鍋まで購入していたのにそれがまさかの卵アレルギー。
天に向かって「なぜだ!」と叫びたいくらいだった(当時)。

しかし、今日風呂に入って、ポールオースターの若かりし頃の未完の小説をうつらうつらしながら読んでいたときにふと思った。
これは、私に課せられた卵の呪いなのかもしれない。

私は、20過ぎの頃、和食居酒屋の調理場でアルバイトをしていた。はじめはほぼ未経験で何もできなかったが、そのうち卵焼きを焼くようになった。
大体一日に4本くらい。ランチの松花堂弁当に入れる卵焼きだ。大体1本を卵10個で作るので40個の卵を割り、出汁を入れ、それを卵焼き鍋でひたすら巻く。
この作業が私はとても好きだった。卵液が次第に焼け始め、気泡を菜箸でつぶしながら鍋を上下に降って卵を巻いていく。大体4回か5回ほど巻いていたような気がする。はじめは失敗することも多かったけど、きれいに巻けるとなんだか誇らしげな気分になった。う巻きを作ったり、蟹入りを作ったりすることもあった。

しかし、一方で私はこの卵焼きをよくつまみ食いした。働きながら隙を見てパクっと口に入れる。焼きたてを切って、味見と称して一つ。形を整えると称して端を切り落としてパクっ。まるで「ぼくは王様」シリーズの王様よろしく卵焼きをこっそり食べていたのである。
それは、今考えると養鶏場に押し込まれて自分のことが生き物なのか機械なのかもわからないニワトリたちのささやかな復讐として、卵をこっそりパクついた人間に課した呪いではないだろうか。それも、その人間でなく、その子が卵をこっそりパクつくことがないようにするための…。

そう思うと、長男に王様シリーズのお話を読んで聞かせているときに「卵焼きっておいしいの?いいなあ。いつか食べてみたいなあ」と言っているのを聞くと、我ながら愛おしい息子に懺悔の気持ちでいっぱいになる。でももうちっと大きくなったらきっと食べられるようになるはずという希望をもっている。
呪いというものは、大概解けるのが相場だからだ。

卵焼き鍋は、使われないままシンクの下にしまい込んであるが、いつか長男が卵を食べられるようになったとき、作って食べさせてやりたい。茶碗蒸しもプリンも、卵かけ御飯だって!
そんなことを考えた夜でした。

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